「日本三大喧嘩祭り」って知ってますか? 今、マイブーム(死語)でこの喧嘩祭りにハマっているのですが、調べていくと「喧嘩祭り」と呼ばれる祭りは結構あったりします。
- 佐賀県の「伊万里トンテントン祭り」
- 富山県の「伏木曳山祭」
- 福島県の「飯坂けんか祭り」
……などの名前が挙がっているかと思えば、それらに代わって、
- 大阪岸和田「だんじり」
- 灘の「けんか祭り」
- 愛媛の「新居浜太鼓祭り」
を三大喧嘩祭りにしたりする意見もあり、定説はないようですね。
いずれにせよ、日本には喧嘩祭りが多く、新居浜太鼓祭りも、そんな喧嘩祭りの代表的存在だと言えるのではないのでしょうか? 新居浜太鼓祭りが「喧嘩祭り」と言われる理由は、その独特の「鉢合わせ」にあります。
今回は「新居浜太鼓祭り」で異常ともいえる「鉢合わせ」と、「なぜチェンソーが使われたのか?」について特集してみました。
目次
新居浜太鼓祭りの喧嘩にチェーンソーが使われた事件とは?
喧嘩にチェーンソー? いやいや明らかに刑法に触れるから……というような話がどこから挙がったかというと、2014年に行われた新居浜太鼓祭りの「鉢合わせ」では、チェーンソーが使われたのではないかという噂が立ったからなんですね。
新居浜太鼓祭りの鉢合わせは、昔、新居浜に多かった漁師達の漁場争いが祭りに持ち込まれたことから始まったと言われています。毎年多くの死傷者が出ることから、市が昭和40年代から喧嘩行為の排除運動を始めていますが、その後も多くの喧嘩による死傷者を出すに至っています。
そこで、近年市は「鉢合わせ」を禁止行為にしているのですが、効果がないのが現状です。最近では担き棒の延長などで武装する太鼓台もあって、凶暴さが深刻化しているようです。
チェーンソーが使われたのには、そういう経緯があります。おそらくその延長された担ぎ棒を切るためだったのでしょう。結局この年の太鼓祭りでは、太鼓台を指揮していた男3人が暴力行為の疑いで逮捕されました。 3人は担ぎ手らを指揮して「鉢合わせ」を行わせ、相手方の太鼓台のかき棒などを壊した疑いで逮捕されました。
鉢合わせは、祭りを楽しみに来る観光客も見たがるものなので、全面的に禁止することには反対する意見もあります。しかし、見物人が煽ることから暴力行為がエスカレートすることもあって、この問題をどうするかは、なかなか解決策が見つからないようです。
こちらの動画は、チェーンソーが使われたのではないかと疑われた鉢合わせの様子です。動画ではチェーンソーは出てきません。
▼平成26年新居浜太鼓祭り阿島VS松神子
ケガ人多数の危険すぎる新居浜太鼓祭りの実態とは?
新居浜太鼓祭りの鉢合わせとは、太鼓台同士をぶつけ合うものです。先ほどの動画を見ていただければ、鉢合わせがどのようなものか、だいたい分かるでしょう。
鉢合わせはその過激さと危険行為から、今は禁止行為とされています。鉢合わせの問題は平成に入るとさらに深刻化し、1993年の祭りでは、東町太鼓台と西町太鼓台が鉢合わせして、興奮した西町側が東町自治会館を太鼓台で破壊する事態に至っています。
1997年に江口太鼓台が破壊され、多数の重軽傷者を出したり、川東地区で、警察車両の制止を振り切った太鼓台同士が激しくぶつかり合い、観光客が将棋倒しとなって死亡者が発生するという大事件が起きています。
これは全国ニュースでも報じられました。その後も鉢合わせ毎年のように行われていて、多くのけが人や逮捕者を出しています。鉢合わせになる原因は、突発的に発生する場合、盛り上げを目的に談合してやる場合、以前からの地区同士の因縁対決など様々のようです。
新居浜太鼓祭りが有名な喧嘩祭りになった理由とは?
新居浜太鼓祭りが”喧嘩祭り”になったきっかけは、別子銅山開坑による産業の発展でした。新居浜市は、その別子銅山を所有していた住友の企業城下町として発展しました。
市の経済発達によって、太鼓台を持つ地区の財政も潤い、各地区が対抗意識を高めていったんですね。太鼓台は急速に大型化していき、明治時代中期からは現在の太鼓台とほぼ同じ大きさになりました。
ちなみに太鼓台は、神社祭礼の時に使われる神輿のお供をする山車の一種であったものが元となっています。それは平安から鎌倉時代には存在したらしいです。この太鼓台は、時代を経るごとに次第に祭りの中心的存在となっていきました。
ただ、大きさについては、幕末から明治時代初期の太鼓台が、現在の新居浜子供太鼓台くらいの大きさしかなく、飾りも質素だったようです。この頃の太鼓祭りは、瀬戸内海沿岸の各地に見られ、新居浜の祭りもその中の1つで、特徴的なものではなかったと考えられます。
新居浜太鼓台の巨大化や金糸刺繍による豪華な装飾は、別子銅山による経済発展の賜物だったのですね。
新居浜太鼓祭りの喧嘩にチェーンソー? まとめ
新居浜太鼓祭りの鉢合わせについて、賛否両論あって、喧嘩や死傷者をなくす解決策がなかなか見つからないようです。
折衷案として、談合による申し合わせで鉢合わせをすることのみ許可するということも考えられますが、上手くいくかどうかは正直分かりません……。くれぐれも大きな事故によって、太鼓祭り自体が大幅縮小されることのないことを祈るばかりです!
ちなみに、この祭りが血気盛んになった原因の別子銅山は1973年に閉山し、それによって新居浜市の発展もなくなったんですね。新居浜太鼓祭りには、「新居浜の栄光を永遠に残すための祭り」という意味も込められているはずなので、大切に祭りの伝統を後世に残して欲しいものです。