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端午の節句に飾られる鯉のぼり。

でも、鯉のぼりについての疑問は尽きませんよね。

例えば、

  • なんで鯉を飾るようになったのか。
  • どうして鯉が子ども達の成長に繋がるのか。
  • そもそも5月にやる意味はあるの?
  • などなど。

    私(筆者)も鯉のぼりについては知らない事ばかり、子どもに聞かれるなどして、言われてみればどうしてなんだろう? と気になっていました。

    そこで、端午の節句に飾られるようになった鯉のぼりについていろんな事実。時代も遡って、武士の○○に関係していたとか、鯉になった理由など、調べてみたのです。

    今回はそんな鯉のぼりについて調べると出てきた、いろんな情報をお届けしていきますね。

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    鯉の中には重大な意味が隠されていた

    鯉が武士達のシンボルだった理由

    鯉のぼりが揚げられるようになったのは、江戸時代からだと言われています。

    鯉のぼりが江戸時代に揚げられるようになるきっかけは、武家の間で子どもの為に綺麗な吹き流しを揚げていました。

    それを見た庶民の間で、

    吹き流しだけでは芸がない!

    と、鯉を揚げられるようになり、それが武家にも伝わったのが由来だと言われます。

    では、この江戸の人々はどうして、端午の節句に鯉を掲げるようになったのか?

    これについて調べてみると、どうやら江戸時代に突然鯉が現れたのではなく、もっと昔、武将たちが戦場で戦っている時から鯉をシンボルとして使っていたみたいなんです。

    鯉のぼりの始まりは戦場に掲げる幟だった?

    詳しくはもう一度、後に説明しますが、「鯉」というのは古くから、日本においても立身出世のシンボルとして人々に認知されていました。

    古来より、武者のぼりに描かれていた鯉の滝登りの姿があります。

    これは「鯉の小籏(まねき)」と言うらしく、現代で一般的に見られる鯉のぼりの形とは違い、文字通り旗として鯉が掲げられていたらしいのです。

    江戸の人々が鯉を選んだのには、この武者のぼりに描かれた鯉に目を付けたからなんですね。

    鯉のぼりが、形は吹き流しなのに「鯉の吹き流し」と呼ばれず「鯉のぼり」の名前で親しまれている理由には、元々、武者のぼりから鯉を持ってきているという関係があったからなのです。

    ちなみに「のぼり」というのが言葉だけではピンと来ないという人の為に、動画も見つけてきました。鯉のぼりの元となった武者のぼりも、こういう形の旗として掲げられていたのです。

    ▼のぼり動画

    実は男の子の祭りじゃない

    端午の節句の真実とは?

    今でこそ「こどもの日」「端午の節句」と言えば、男の子の日であるという認識が一般的ですよね。

    でも、この端午の節句……本当は男の日ではなく、

    女の子の為にある日

    だったのです。

    むかしむかし、日本にはこの時期「五月忌み」と言われる風習がありました。これは田植えに出る女性が身を清める為の習慣であったと言われています。

    中国から渡って来た端午の節句は、当時、この「五月忌み」と合わせて考えられるようになり、端午の節句とは田植えに出掛ける女性の為の日であると言われていたのです。

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    ですが、これがいつのまにか「男の子の成長を祈る日」へと変わっていきました。そこには、ちょっとこじつけのような、武士たちのわがままな事情があったのです。

    菖蒲の形が刀に似ている!

    貴族たちの時代が終わり、やがて日本は武士たちが実権を握る時代がやってきます。その頃になると日本では、男尊女卑の考えや、男女の力関係が出来上がってきますよね。

    また力のある武士たちは、こう思ったのです。

    「端午の節句に必要な菖蒲の葉だが、あれは、武士の魂である刀の形に似てはいまいか?」
    「それを言えば“菖蒲”という名前、これは“尚武”や“勝負”と同じ音。まさに武士の為の植物ではないか」
    「これは端午の節句は女の為ではなく、寧ろ我々武家の為に祝えと言われているに違いない!」

    もちろん台詞は創作ですが、おおよそこのような流れができあがりました。かくして当時の武士達は、端午の節句に自分達の力を示すようになりました。

    その中に鯉のぼりへと繋がる吹き流しを掲げる文化があり、また、この時期に自分達の鎧を日に干して整備していたのが、後の五月人形へと繋がるのです。

    鯉のぼり。でもなんで鯉だったの?

    その由来は日本ではなく、あの国

    さて、上の方で「なぜ鯉だったのか?」という問いに、

  • 武者のぼりに描かれた鯉をモチーフにした。
  • 鯉は江戸の人にとって立身出世のシンボルであった。
  • という風に説明しました。これについてさらに詳しくお伝えしますね。

    まずそもそも、何故武士たちはのぼりに鯉を描いていたのか。これは有名な中国の故事「鯉の滝登り」から来ています。

    その内容は、小さな鯉が激流に逆らって、滝を登り、やがて大きな龍へと姿を変えた、というものですよね。

    そんな神秘的な話に惹きつけられて、滝を登る鯉の姿が、出世を望む武士たちの間でも好まれたのです。

    鯉って滝を登れるの?

    素朴な疑問……では「鯉は本当に滝を登るのか?」というものです。

    普段皆さんも、鯉を目にする事はあると思います。公園の池などで飼われていますよね。でも、餌を与えなければとても大人しい魚で、激流を泳いでいる姿なんて想像つきませんよね。

    その通り、実は故事とは違い、鯉は滝を登ったり激流に逆らったりしない生き物なのです。むしろ流れを嫌って、川底の静かで穏やかな空間を住処にしています。

    ではどうして、そんな鯉が滝を登ると言われたのかと言えば、これは調べても詳しい話は出てきませんでした。

    ただ、普段は大人しい鯉だからこそ。本来は静かに泳ぐ鯉が、困難に向かって乗り越える姿が物語として強く印象に残りやすく、こうして語り継がれているのかもしれませんね。

    例え力が無いように見えても、逆境を乗り越えることで立派な龍になる。その姿にはやはり、考えさせられる物があるのだと思います。

    ちなみにそんな鯉のぼりの由来を子供に聞かれたら? 自分の知識を確認するためにも、こちらの記事にまとめましたので、併せてご覧ください!

    端午の節句に鯉のぼりを飾る意味 まとめ

    いかがでしたか? なぜ鯉のぼりを飾るのか。なぜ鯉だったのか。

    それを調べるだけでも、いろんな面白い話が出てきます。

    特に「菖蒲の葉」から「勝負」や「尚武」を連想して「端午の節句は俺達の物だ!」と考えたのだと思うと、まるでジャイ○ンみたいだと思わず笑ってしまいそうです。

    また鯉の滝登り。実際に河を登る魚と言えば、パっと思い出せる物だと鮎などがあるのですが、そこで敢えて鯉をチョイスしたセンス。

    鯉が滝を登るギャップなのか、それとも、鯉の鱗や髭が龍のようにも見えたのか、ちょっと考えてみるのも面白いかもしれませんね。

    あと下の「関連記事」にも、鯉のぼりや端午の節句の由来に関する情報を載せていますので、併せてご覧ください!

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